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08年7月16日(水)

アートdeArtU(9)町とアートの“架け橋”に―アートフェスタin大山崎2008

 「アートフェスタin大山崎町2008」(アサヒビール大山崎山荘美術館や京都造形芸大などによる実行委員会主催)が始まりました。「アートでかけ橋」というテーマで、町の歴史や文化遺産とアートを結ぼうと、3組のアーティストが大山崎町に関わった作品を町内各所に展示しています。

 …う〜ん、驚きました!どれも興味惹かれる作品ばかり。なんといってもバリバリの現代美術なんです。

 小沢剛さんの作品は、野菜を組み合わせた「ベジタブル・ウェポン」(写真左)。世界中でその地域のモデルと料理を決め、食材を買って「銃」の形に組み立てて撮影、料理して食べる。…一連の行為が作品だといいます。「人間が起こす多くの戦争は、お互いを知らないことによる誤解が原因」とする小沢さん。「銃」を「食べてしまう」という行為を通じて、お互いの文化や歴史を理解しあえれば、という思いが伝わります。

 オーストラリア在住の写真家セリーナ・オウさんは、町内で約1ヶ月暮らし、毎日撮影に。山荘美術館の職員や自動車ラインの技術者、駅員など町内で働く人々がモデルです。

 アートユニット「パラモデル」の林泰彦さんと中野裕介さんは、私と同じ京都市立芸大の出身。玩具のレールやブロックなどを用い、地元の子どもたちとの共同制作の記録も展示されています。ビールケース1万3千個を使った作品(写真下)が天王山を背にそびえ立ち、なんだか微笑ましく、子ども心をくすぐられます。

 山荘美術館では3作家の展示と常設展が見られますが、それぞれの作家のメッセージや個性がつよいので、作家ごとの展示を見てから山荘美術館へ、というコースがお勧めです。

 それにしても、小さな町を舞台にこうしたアートイベントが行なわれるのはすごいことです。「大山崎区民会館や、大山崎集会所など、長年町民の皆さんが利用してきた比較的古い施設に、現代美術の作品がマッチングしている風景は、ちょっとした見ものです」と真鍋宗平町長(『町長短信』より)。

 …なにかと話題の大山崎町ですが、“芸術家町長”の町が発信する真夏のアートメッセージにも、おおいに注目したいと思います。

 

*「アートフェスタin大山崎町2008」9月7日まで 075-791-9124(京都造形芸大)

*「アートでかけ橋」075-957-3123(大山崎山荘美術館)

   ★『京都民報』7/20付「成宮まり子のアートdeArt」

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08年6月11日(水)

アートdeArtU(8)“音のないメロディー”くるくる弧を描く――ドメニカ・レガッツォーニ/楽器から生まれた作品展

 ドメニカ・レガッツォーニさんという女性アーティストによる「楽器から生まれた作品展」を、ギャルリー宮脇に訪ねました。

 イタリア・ミラノを拠点にしている彼女の亡き父は、イタリアでも著名なヴァイオリン職人だったといいます。父がこの世を去った後、その工房に足を踏み入れたドメニカは、遺されていたヴァイオリンの部品や木材片を見つけます。

  楽器独特のカーブ曲線や「f」の字、糸巻き、駒、弦、木のぬくもり、ワニスの匂い…。

 彼女は、それらの品々が持っている不思議な造形に魅かれ、触発され、そして父を始めとしたイタリアの伝統的な楽器職人とその“手仕事”への畏敬の念をこめて、奏でられるはずだった音の響きをイメージしながら作品をつくったそうです。

 未完成のままの楽器を遺し眠りについた職人の父と、それらを集め、組み合わせ、彫りすすめて、コラージュやオブジェに生まれ変わらせた美術家の娘。これらの作品は、彼女とお父さんとの“コラボレーション”です。

 イタリアを始めヨーロッパで大きな話題を呼んだ彼女の一連の作品展は、日本では初めての紹介です。美術と音楽。ちなみに彼女の弟はヴァイオリン奏者として活躍中とのこと。

◇         ◇         ◇

 ギャルリー宮脇といえば、この連載でも紹介した「アールブリュッド(生のままの芸術)」など、いつも興味深い企画展をされている京都の老舗画廊。「螺旋階段」の画廊としてもおなじみで、今回は「楽器から生まれた作品」たちから“音のないメロディー”がくるくると弧を描いて流れ出すようで、心地良い。

*ドメニカ・レガッツォーニ/楽器から生まれた作品展6月15日(日)午後6時までギャルリー宮脇(京都市中京区寺町通二条上ル東側 ☎075−231−2321)

  『京都民報』6/15付「成宮まり子のアートde Art」掲載

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08年5月13日(火)

アートdeArtU(7)“触感的”に「人間の営みは自然の創造物」――岡 普司展/京都アートマップ2008

 京都の現代美術系ギャラリーによる一斉企画展京都アートマップ2008が始まりました。サブテーマ<京都定書>には、「京都定書」が温暖化防止へ世界を動かしたように、美術と社会との関わりを発信しようとの思いが込められています。

 さっそく、ギャラリーアーティスロングに岡 普司展<MASSIVE PROGRESSION/熱塊と水蝕>を訪ねました。切り株のようなオブジェと石。…岡さんは、牛乳パックを使って紙の原料である樹木を再現しようと考えたそうです。石は川の水流によって磨かれたもの。ここは<水蝕>の部屋です。

 <熱塊>の部屋には、ガラス質の結晶が光る能勢黒(のせぐろ)という花崗岩。再生ダンボール、ハゼの実から採れる和ろうそくの材料を使ったオブジェ。「熱」が形成に役割を果たします。

 …人間は身近な自然から抽出した物質で暮らしてきたし、地球全体としても熱や水の循環によってバランスが保たれてきた。ところがいまや人間の活動は自然の限界を超えてしまった。「時間をかけて自然が形づくってきた過程を『見せる』ことで、過剰になりすぎた社会のあり方を問い直せれば」と岡さんは言います。

 岡さんの作品には「人間の手」の痕跡がつよく存在します。

 「文化=耕す」という語源の通り、太古の昔から人間が自然に働きかけ抽出してきた、木、紙、石、鉄などの物質。自然は変化し果実も巨大になりました。

 けれどその人間も、自然から独立した存在ではなく、他の生物と同じように「自然との物質代謝(循環)」を行なっています。ところが、生産と消費の際限なき拡大を自己目的とする「怪物=資本主義」が現われ、「自然との循環が撹乱」されつつあると、マルクスは『資本論』で分析しました。

 …「人間の営みも自然の創造物なんだ」ということを“触感的”に喚起する岡さんの作品。

 静かな口調で、けれども、つよく。

*         *          *

 作品を介し、いろんな出会いが広がるのがギャラリーです。「アートマップ」は参加ギャラリーで入手可能。…風薫る5月、ぜひ足を運んでみて下さい。

*岡 普司展<MASSIVE PROGRESSION/熱塊と水蝕> ギャラリーアーティスロング(中京区三条通堀川西入一筋目角 075-841-0561)

*「京都アートマップ2008」5/13〜25(事務局:ヴォイスギャラリーpfs/w 075-211-2985) 〔参加ギャラリー〕ヴォイスギャラリーpfs/w/ギャラリー恵風/アートスペース虹/ギャラリーすずき/ギャラリーはねうさぎ/ギャラリー16/ギャラリーアーティスロング/ギャラリーマロニエ/ギャラリーなかむら/同時代ギャラリー/ニュートロン/立体ギャラリー射手座/ギャラリーギャラリー

  ★『京都民報』5/18付「成宮まり子のアートde Art」掲載

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08年4月15日(火)

アートdeArtU(6)「たゆう虹」―“うらにし”丹後ちりめんの里に架かる

 丹後ちりめんの織元、田勇機業(網野町)を訪ねました。

 丹後の織物については、すでに奈良時代に絹織物「あしぎぬ」を朝廷へ調貢したことや、足利時代に名品を織っていた記録があります。いまのように独特の「しぼ」を持つ丹後ちりめんは、今から約300年前に峰山の絹屋佐平治という人が京都・西陣の機屋へ奉公し、苦労してその技術を持ち帰ったのが最初とされています。

 その丹後ちりめん、田勇機業では撚糸・織り・染めまで一貫してやっているそうです。「しなやかな手触り、それでいて親子代々着継がれる丈夫さは正絹独特のもの。これは、こだわりたいんですよ」と話すのは田茂井勇人(たもいはやと)社長。

 伝統を受け継ぐことと同時に、海外にも丹後ちりめんを“発信”しようと努力しているといいます。

 2002年、着物用の小幅生地をイタリアのブランドが使用したのをきっかけに、2004年にはイタリアとのビジネス交流をめざす「ミラノにおける関西展」に出展。2006年からは国の「JAPANブランド育成支援事業」により、ベルギーやフランスに出展し、若手デザイナーとのコラボレートでオートクチュール(仕立て)ドレスに丹後ちりめんを使いました。そして、今年2月の「JAPANブランド・丹後テキスタイル展2008」では、エルメスやシャネルなどのデザイナーやバイヤーが来場し、通訳を介して熱心なやりとりが…。「これほどクオリティーの高い素材は、今やヨーロッパでもなかなか手に入らなくなった」と生地を持ち帰るブランドなど、手ごたえは一層大きくなっているそうです。

 国内でも、和装以外のブランドの紳士シャツ、婦人帽子・パンプスなどに生地を提供。丹後地方の地元3社(田勇機業、安栄機業場、一色テキスタイル)が原宿のデザイン会社と共同し、新しいブランド「姫丹後」―丹後の七姫伝説にちなんだ名前―の展開をめざします。

 「たゆう虹」というボカシの技法を使った鮮やかなシリーズがひときわ目を惹きます。「丹後は“うらにし”。“弁当忘れても傘忘れるな”といいます。しぐれることが多いけれど、よく虹が架かるんです」。

 冬は雪深く、夏は蒸し暑い。四季の表情は豊かだけれど、決して暮らしやすくはない。そんな風土で、心優しく辛抱強い人々によって受け継がれてきた丹後ちりめん。…厳しいなかでも、“虹が架かる”明日をめざしてがんばるみなさんと、もっともっと手を繋いでいかなければ、と感じた訪問でした。

田勇機業株式会社 京丹後市網野町浅茂川112 TEL 0772-72-0307

  (『京都民報』4/20付「成宮まり子のアートde Art」)

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08年3月11日(火)

アートdeArtU(5)理想の居場所をつくる―建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

 滋賀県立近代美術館で開催中の「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」に触発され、建築家ヴォーリズの足跡を滋賀・京都にたどってみました。

 ヴォーリズといえば、豊郷小学校の“取り壊し騒動”をきっかけにその名を知った方も多いのではないでしょうか。その小学校の階段手すりには「ウサギとカメ」のブロンズ像がちょこんと鎮座しています。子どもたちに小学校をプレゼントした地元出身の事業家が「カメのように誰も見ていなくても努力し、ゆっくりでいいから前に行きなさい」と、昔々、先生から教えられたというエピソードにちなんだものだそうです。“騒動”とは対照的に、なんともかわいらしい話です。

 そういえば、ヴォーリズの建築はどれもみな、人を包み込むような優しさやシンプルな中にもあたたかさが溢れています。「使う人をいちばん大切に」とした彼の思いが見てとれるようです。

 1905年に英語教師として来日したヴォーリズは熱心なキリスト教者でもあり、そのために2年で解職されてしまいます。その後、建築の仕事を始めて、全国に教会や学校、住宅、店舗ビルなど1000を超える建築設計を行なっています。

 彼が拠点にした近江八幡市の歴史的な町並みに建つ旧八幡郵便局を訪ねました(写真上)。玄関や窓のアーチ型が印象的で、現在はヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」の事務所が置かれているとのこと。

 旧水口図書館(写真左:滋賀県甲賀市)は、いまも小学校の敷地に建つ地域のシンボル的存在です。塔屋上のランタンと呼ばれるつくりがいかにも粋で目を惹きます(国登録有形文化財)。

 京都でも、東華菜館(旧矢尾政)は「海の幸山の幸」の食材をモチーフにした玄関など、四条大橋におなじみの風景。他、京都大学YMCA会館(左京区)、御幸町教会(中京区)、大丸ヴィラ・旧下村邸(上京区)など、ヴォーリズ建築はあちこちにあり、いまも活躍中です。

 特定の様式にこだわるよりも、合理性や日本の風土・暮らしとの調和をめざし、“理想の居場所”づくりを追求しつづけたヴォーリズ。だからこそ時代を超えて親しまれるのでしょう。…今年は彼が建築の仕事を始めてからちょうど100年にあたるそうです。

「信・望・愛―理想の居場所をつくる ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」滋賀県立近代美術館 3月30日(日)まで

 ★『京都民報』3/16付「成宮まり子のアートdeArt」

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08年1月23日(水)

アートdeArtU(4)ガツンとした石彫―佐野賢さんのこと

 西京区洛西ニュータウンの新林池公園に「認識のキーボード」という彫刻があります(写真左)。鍵盤の上に「時間・空間」「水・空気」「大地・風」のイメージが刻まれたこの作品は、彫刻家・佐野賢さん(京都市立芸大教授)の手によるものです。

 近くのふれあいの里(西京区・写真下)や、京都会館(左京区)、墨染通り(伏見区)、京阪奈プラザ(精華町)、大宮町ふれあい工房(京丹後市)など、各地にある石の佐野作品。なんといっても野外が似合います。

 「作品が季節の風にさらされ、雨が洗い流す。落ち葉が積もり凍てつくことがあっても、自然との対比のなかで物質としての存在が成り立つ」と佐野さん。

 実は、最初は石をやるつもりではなかったとのこと。大学卒業後に彫刻家をめざしたとき、休耕畑を借りて石彫を始めたのがきっかけで、それから約40年。「石にはガツンとした質量感がある。手間はかかるし制約はあるけれど、あいまいさやごまかしは効かない」と石の魅力を語ります。

 石の佐野さん≠ニいえば、アトリエ棟にカチンカチンと響く音。汗を拭き拭き大学で制作する姿。「ああ、今日も佐野さんやってるな」と、私の学生時代にも名物≠ナした。「教員と言ったって、僕らも一人の作家やからね。教えるというより、作品が出てくる過程がある。そこを学生諸君に伝えたい」…その姿は、かつて美術の教育カリキュラムはいかにあるべきかと議論された実践そのものだったのではないかと思います。

 そして、構想設計という新しい美術表現をめざす専攻で、個性的でバラエティに富んだ試み(と云うと聞こえはいいのですが)をしでかす学生(私を含め)に、柔軟にあたたかく向き合ってこられた先生。

 退任後の構想は?とお聞きすると、「煩わされず好きな仕事をやりたい。日本人、人間の本質に触れるような、現代のみならず次代にも通じるようなモノをつくりたいね」との答えが返ってきました。

*佐野賢展―京都市立芸大退任記念 1月30日まで:芸大ギャラリー(西京区大枝 075‐334‐2220)

  ★『京都民報』1/27付「成宮まり子のアートdeArt」

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07年12月13日(木)

アートdeArtU(3)飯塚国雄の絵画と、20世紀の暴力

 「なぜお前はアメリカに住み続けるのか」…被爆した亡父の問いに応えるために描き続けてきた画家・飯塚国雄氏。絵画展が立命大国際平和ミュージアムで開催中です。

 オレンジの炎に焼かれる人々を描いた〈炎・ナガサキ〉や、すべてが焼きつくされた〈灰・ヒロシマ〉などの大作は、国連50周年記念の特別展にニューヨーク国連本部で展示されたもの。

 他にも〈ソマリアの哀歌〉(写真下)、〈サラエボの哀しみ〉といったタイトルが並び、戦争や虐殺、難民などをテーマにした作品群は見ごたえがあります。

 ほぼモノクロに近く限定された色づかい。塗るのではなくナイフで彫り込んだようなマチエールが、木版画のような強さを放ちます。悲惨さの描写というより、どこか寓話的なニュアンスを感じさせるフォルム。…氏は、宮沢賢治の童話の世界に惹かれ、「セロひきのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」などの連作も手がけてきたとのことです。

 2001年、その画家の目の前で起こった「9・11テロ」。ニューヨークのアトリエのすぐそばにあった貿易センタービルの炎上と崩壊。氏が時間を追うように鉛筆を走らせたスケッチ数点が展示され、「ものすごいショックに、なかなか作品にすることができなかった。それは本質的に長崎・広島で起きたことと同じ残虐な行為」と語る氏へのインタビュー(隅井孝雄元京都学園大教授による)映像も見ることができます。

 〈戦争が終わった〉〈少年〉(写真右)など、画家自身の子ども時代の記憶や、傷ついた身体で必死に生きようとする人々を描いた近作も目を惹きます。鎮魂と和解、再生への願いが伝わります。

 「戦争に対して芸術家はどう向き合うのか」…繰り返し問いかけられてきたテーマです。「20世紀の暴力」を描き続けた画家と向き合ったとき、私自身があらためて誓ったのは、「21世紀に、画家が『戦争』を描かなくてもよい世界を人類の手でつくりだしたい」ということです。

*「飯塚国雄絵画展―被爆した父への応え」立命館大学国際平和ミュージアム〜12/15(土)まで

 ★『京都民報』12/16付「成宮まり子のアートde Art」

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07年11月14日(水)

アートdeArtU(2)「アール・ブリュット」再び

 「生のままの芸術」を意味する「アール・ブリュット」の企画展第2弾がギャルリー宮脇で始まりました。5月の展覧会にも大きな反響があったとのことで、今回は「色彩」にこだわった展示です。

 「アール・ブリュット」とは、時代や場所を超えて、精神の根源的な衝動からの創造とか、文化の影響の外側にある芸術という意味の言葉です。美術の専門教育を受けていない人々や、既存の枠組みでとらえられないものも含めて、欧米では美術の一分野として認識されています。

 今回は、有名な作家から、ごく最近にその存在が“発見”された人々まで、20人以上の80点近い作品が並びます。

 なかでもひときわ目を惹くのはイブ・フルーリーフランス1960〜)の作品(上)。名画やニュースなどの写真をもとに、独特の造形と強烈な色彩でアレンジされ、プリミティブなエネルギーが迸ります。

 シルビア・フラゴーゾアメリカ1962〜)は、モザイク状で独特のリズムを刻む色彩が、優しさと楽しさを溢れさせる作品。ダウン症に生まれ、22歳で絵を描きはじめて以来、人気画家として活躍中です。

 カラーフェルトペンによる点描が画面を埋めつくすのは、アントニア・ブリュリサウアースイス1916〜1998左)。生まれつき聴力がなく、話すことも書くことも学ばず、76歳の時にセラピストに勧められて絵を描きはじめたそうです。

 ファインアートの画商として日本で初めて、アール・ブリュットを本格的に紹介しているオーナーの宮脇豊さんは、「ほとんどが、日本初の紹介になります。すでに欧米で有名な作家の紹介とともに、未知のものを発見し開拓していくという意味で、面白さが尽きることのない分野」と、意気込みを語ります。

 1つひとつの作品から、特別な濃密さが伝わります。

 描く、創る、表現する、伝える…時代を超えた人間の営みや願いについて、あらためて考えを巡らせました。

*「アール・ブリュットの色彩」12/16(日)まで ギャルリー宮脇(京都市中京区寺町二条上ル東側 月休)075-231-2321

 ★『京都民報』11/17付「成宮まり子のアートde Art」

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07年10月18日(木)

アートdeArtU(1)いのちと平和、未来へつなぐ―いわさきちひろ展

 優しいメッセージが、こんなにも伝わるものでしょうか。美術館「えき」KYOTOの「いわさきちひろ展」は初期のデッサンから旅先のスケッチ、絵本原画や油彩など約100点の作品が、ちひろの世界と生き方を語ります。

 「小さい子どもがきゅっとさわるでしょ、…あんなぽちゃぽちゃの手からあの強さが出てくるんですから。そういう動きは、ただ観察してスケッチだけしていても描けない。ターッと走ってきてパタッと飛びついてくるでしょ、あの感じなんてすてきです」。好奇心や喜び、寂しさ、不安、掴もうとする指先。…ほんの一瞬の表情を捕らえたデッサンから、子どもたちへの愛情が溢れ出します。

 生後10ヶ月と1歳の赤ちゃんを描き分けることができたというちひろが、好んで使ったのがパステルです。子どもの頭をなでる母親の指がそのまま画用紙の上に線を引いたよう。じいっと見ていると、子どもの肌や髪の柔らかい感触が手の平によみがえるようです。

 子どもとともに「平和」を生涯のテーマにしたちひろ。被爆した子どもの作文や詩に絵を描いた『わたしがちいさかったときに』の原画も展示されています。

  青春時代に戦争を体験した彼女を変えたのは、疎開先で偶然見つけた「日本共産党演説会」のポスターだったそうです。

 「戦争が終わって、はじめてなぜ戦争がおきるのかということが学べました。そして、その戦争に反対して牢に入れられた人たち…殺された人のいることも知りました。大きい感動をうけました。そして、その方々の人間にたいする深い愛と、真理を求める心が、命をかけてまでこの戦争に反対させたのだと思いました」と語ったちひろは、1946年日本共産党に入党。そして亡くなる最後まで、ベトナムの戦火の下にいる子どもたちを気にかけたといいます。

 いのちへの深い愛情、人間と未来への優しいまなざし。そこに普遍的なものが流れているからこそ、没後33年を経て、こんなに多くのことが伝わるのでしょう。

PS.連載再開です。“アート”を通していろんなことを伝えていきます。

*いわさきちひろ展 〜11/11まで美術館「えき」KYOTO

 

『京都民報』10/21付「成宮まり子のアートdeArt」

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07年6月 4日(月)

アートdeArt(20)フルイミエコさんのこと

 参議院選挙事務所の看板が、ずいぶん人気です。京都市立芸大の先輩で画家のフルイミエコさんに描いていただいたものです。

 フルイさんの絵には、植物の芽やつぼみ、椅子など、有機的なエネルギーを感じさせるモチーフが登場します。

 数年前から、母親の認知症などをきっかけに、離れていた両親と一緒に暮らすようになり、家族のつながりや支えあいをつよく感じるようになったそうです。

 以前には、哀しい眼をした子どもがしばしば登場していたキャンバス。「戦争で犠牲になる子どもたち。怒りをそのままぶつけていた。でもいまは、そういうしんどいことを越えて、どんな世界であってほしいのかを表現したい。誰も一人では生きていけないし、寄り添ったり支えてくれる人々があって、人生があるから」と言います。

 いよいよこの連載も最終回。人間らしく$カきることが奪われる時代に、さまざまな美術・芸術に携わる方々を訪問するなかで、暮らしとともに「心を豊かに耕したい」という共通の思いを聴きました。あわせて「京都はものづくりのまち」「平和憲法を変えてはいけない」との声も。

 人間らしく・ものづくり・平和…その熱い願いを届ける参議院選挙。

 フルイさんからも「ピカソの『ゲルニカ』には、惨禍の目撃者としての女性が描かれています。目撃者は告発者となり、希望へと続きます。…多くの人々が、あなたの中にその姿を見いだすでしょう」と素敵なメッセージをいただきました。

 がんばるぞ! (『京都民報』6/10付アートdeArt掲載予定)

*フルイミエコ展7/21(土〜29(日)御池画廊(京都市北区今宮通新町東入ル北側 TEL075-492-3083)

*参議院事務所でもミニ展覧会開催中

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07年5月17日(木)

アートdeArt(19)「アール・ブリュットの顔」――魂の叫び

 ギャルリー宮脇の「アール・ブリュットの顔」展。60点を超える作品はどれも特別な濃密さです。

 カラフルなロボットのような肖像が繰り返し登場するのはポール・デュエム(ベルギー)の作品(写真左)。農夫だった彼は保護施設で70歳の時から毎日規則正しく描き始めたそうです。

 ローゼマリー・コッツィ(ドイツ)によるドローイングは、ドキリとするような眼差しと不自然に首や手足が折り曲げられた人物(写真下)。ナチス強制収容所生活を体験し、幼くして家族が崩壊した経歴のもち主です。

 「アール・ブリュット」とはフランス語で「生(き)のままの芸術」を意味します。文化の影響を受けていない、精神の根源的な衝動から創造される芸術を指し、提唱したジャン・デュビュッフェだけでなく、ピカソやクレー、シュルレアリスムにも影響を与えたといわれます。

 その作者は、心を病んだり、囚われの身だったり、ハンディキャップをもつ、日曜大工愛好家などの無名の人々です。孤独のなかで自分のためだけに制作され、死後に膨大な作品が見つかることも少なくありません。

 近年は、美術の専門教育を受けていない人々や、既存の枠組みでとらえきれないものも含め、広い範疇で「アウトサイダー・アート」と呼ばれるようになっています。

 「欧米では美術館での企画も多いが、日本ではまだ少ない。今回紹介したのは海外では有名な作家ばかり。ぜひ見てほしい」とオーナーの宮脇豊さん。

 …なんと言えばいいのでしょうか。魂の叫びを聞いたような、驚きと衝撃が残りました。

*「アール・ブリュットの顔」6/2(土)までギャルリー宮脇(京都市中京区寺町二条上ル東側)TEL 075-231-2321

      『京都民報』5/27付「アートde Art」掲載

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07年5月 2日(水)

アートdeArt(18)“型絵染”絵本は伝える――田島征彦さん

 絵本作家の田島征彦(ゆきひこ)さんを、新作「どろんこそうべえ」原画展(ギャラリーヒルゲート)に訪ねました。シリーズ4作目は、軽業師(かるわざし)そうべえが、子どもになって土の中の世界を冒険するお話です。

 「双子とはやっかいなものです」と征彦さん。双子の弟、征三(せいぞう)さんと、幼い頃から絵描きになろうと決めていたけれど、「セイちゃんと違って手先が不器用だった」征彦さんは、「弟と違うものを作らなければ」と京都市立美(芸)大の染織図案科へすすみ、型染を学んだそうです。

 会場の絵本原画も、目の覚めるような鮮やかな型染で、そのうえに筆が入り、染めと絵の具の風合いも独特。征彦さんは型絵染(かたえぞめ)″と呼んでおられます。

 同時に、征彦さんの絵本には、ユーモラスと反骨精神、弱者への優しさがあふれています。

 戦争体験にもとづく『ななしのごんべさん』には、障害のある女の子の眼から見た戦争が、どんなに不条理に満ちたものなのかと胸を打たれます。西口克己さん原作の絵本『火の笛‐祇園祭絵巻』は、支配される者、町衆に寄りそう視点がつらぬかれています。絵本の伝える力、伝えようとする作家のエネルギーってすごい、とあらためて感じます。

 実は、会場で、木村重信氏(兵庫県立近代美術館館長)とばったりお会いしました。征彦さんが美大在学中から応援し、昨年の「田島征彦と田島征三の半世紀」展にも、「日本的な染色技法(型絵染)の独自な視覚構造にもとづきつつ、征彦は高い芸術的世界を形成した」と書いておられます。

 …人と人、やっぱりアートって繋がってる!と感激した出会いでした。       (『京都民報』5/13付「アートde Art」掲載。対談も)

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07年4月16日(月)

アートdeArt(17)北山杉、恵方へ――山田実展

 東山区のギャラリーはねうさぎに、京都市立芸大の先輩である山田実さんの個展を訪ねました。

 「EHO‐恵方」と題した個展会場には、北山杉を使った立体が北北西の方角を指して並び、設置場所の緯度・経度・高度のGPS計測値が記されるとともに、アトリエのある京北地域で採録した水音がスピーカーから流れます。焼きと金彩が施されることで木の素材感がいっそう際立ち、水音は北山杉が育った場所をイメージさせるようです。

 山田実さんの作品は、私自身も学生時代から見てきましたが、1980年代半ば〜90年代は、ギャラリーの特性(タイル模様など)から出発した、展示空間と作品との関係性の演出という要素がつよく出ていました。しかし近年は、素材を北山杉に固定してきたといいます。

 「北山杉はお米みたいなものかな。こだわってはいないけれど、毎日食べておいしい」と山田さん。「作品は、頭のなかで『こうなるだろう』とわかっているだけでなく、目の前の素材と実際の工程があって初めて現われる。その素材と工程がいい具合なんでしょう」と、北山杉や京北の自然そのものへの愛着がにじみ出ています。

 個展だけでも36回め。「恵方」とは少しでもよい方向へとのこと。地道につくり続ける真摯な姿を感じました。 (『京都民報』4/22付 アートde Art掲載

[山田実さんの略歴] 1960年京都市生まれ。嵯峨美術短大、京都精華大卒。京都市立芸大大学院美術研究科修了。1984年京都彫刻家連盟会員。

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07年4月 1日(日)

アートdeArt(16)川上力三さん、作陶50年めの挑戦

 京都を代表する現代陶芸作家・川上力三さんの個展を訪ね、お話を聞きました。

 今年で作陶50年になるという川上さんは、戦後の前衛陶芸をリードしてきた「走泥社」のメンバー。京都の若手陶芸が結成した走泥社は、従来の焼物の皿・壷という実用的な形を捨て、「オブジェ」など彫刻的な新しい表現をひらきました。

 「若い頃、僕は“社会派”と言われていました。安保闘争や蜷川知事の時代の空気がそうだったんでしょう」と川上さん。大量消費社会や戦争への告発など、外に向かう作品を発表し、遺跡や建造物を連想させる数メートルもの大作も知られています。

 今回の個展は、内面の追求をテーマにした「円相・位相・幻想」シリーズの新作。…常に陶芸の可能性を押し広げるような活動をしてきた作家の、いろんなものをそぎ落としたシンプルで凝縮された形。それが陶芸の素材=土の可塑性をあらためて感じさせます。

 「エッシャーの4次元世界を立体で表現したらとか、次にやりたいことがいっぱいでね。あまり先のことを言う年齢ではないが、体力・気力の限界に日々挑戦ですよ」と、川上さんの眼は若者のように輝きます。

 この展覧会は、ギャラリー恵風(けいふう)の5周年記念展。代表の野村恵子さんは「アートが好きでギャラリーは夢だったんです。作家もギャラリーも続けるのは大変だけど、作品を通して人と人との出会いをつくりたい」。…こういう時代だからこそアートを暮らしに。心を耕し人間らしく生きたい! と意気投合。

 そういえば、京都のギャラリーはどこも女性ががんばっています。(『京都民報』4/8付掲載「アートde Art」)

*川上力三展〜4/8(日)ギャラリー恵風(左京区丸太町通東大路東入ル一筋目角2F)Tel 075-771-1011

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07年3月19日(月)

アートdeArt(15)手の平で感じる展覧会――山本哲三展

 「つなぐ みつめて いのち」というシリーズ企画展が哲学の道近くのギャラリー揺(ゆらぎ)で始まり、第1回は彫刻家の山本哲三さんです。大理石&和紙に包んだ木材の作品は、素材の組み合わせが絶妙の柔らかさをかもし出しています。

 ちょうど在廊だった山本さんにお話を聞くことができました。「いのち」を抽象彫刻で表現することの難しさを感じていた頃、ちょうど「皇室に男児誕生。体重2558グラム」というニュースを聞き、赤ちゃんの重さを石で感じてもらうような作品を考えたそうです。会場に並ぶ作品は、世界最小から最大までの赤ちゃんの体重とほぼ同じ重さで、「ぜひ抱き上げてみて下さい」と山本さん。そっと手の平に抱き上げて、ひんやりとしたその感触に「赤ちゃんってこんなに重かったかなあ」なんて思いました。

 庭園には、大理石の月と海と陸の作品が置かれていました。月の引力によって海水が陸に繰り返し打ちつけるエネルギーのなかから、地球に生命が生まれたことをイメージしたといいます。

 石、いいですね。こんなふうに手触りを楽しめる展覧会ってあまりないかも知れません。

 山本さんは京都市立芸大の大先輩でもあ ります。…学生時代には、真鍋さん(大山崎町長)に難しい本をいっぱい薦められたそうで、そんな話でも盛り上がりました。

 …やっぱり、アートっていろんな人に繋がってるんですね。

      (『京都民報』3/25付「成宮まり子のアートdeArt」掲載)

*山本哲三展 3/25まで ギャラリー揺京都市左京区銀閣寺前町23 Tel 075-752-0242

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07年3月 7日(水)

アートdeArt(14)文化に市場原理はなじまない――京都国立博物館調査から

 京都国立博物館などの独立行政法人化から5年。国会に出された文化財研究所との統合案をめぐって、井上哲士参議院議員の調査(2/28)に同行しました。

 館内の文化財修復工房では、絵の裏打ち紙を水で少しずつ溶かしてピンセットで剥がしていく作業を見学。1日がかりで10cm角くらいしか進まないそうで、仕上がった絹本の仏画は20ヶ月かかったとのこと。仏像修復では、三十三間堂千手観音像を、一巡すればまた最初からと半世紀以上も続けているそうで、気の遠くなるような作業ですが、「次の世に引き渡す」という話が印象的でした。制作当時の色・形の復元ではなく、数世紀を経た文化財をこれ以上傷まないようにして後世に引き継ぐというのです。

 続いて展示を見学。「数十年の研究を積み上げた展覧会ほど、入場者数は反比例する」とスタッフの方。長時間の説明に研究への熱意が伝わってきます。

 

 独法化後、入場者が増えても財務省がノルマを引き上げ、運営交付金は削減に。文化財購入費がしわよせされて、価値ある文化財が海外へ流出しているそうです。「博物館の使命が果たせない。なぜ文化予算はこんなに少ないのでしょう」「大量客の大型企画ばかりやれない。質を落として遊園地のようになっていいのか」と館長さんら。

 そもそも「市場原理」「効率」「競争入札」などを文化に持ち込むことが大問題です。…芸術文化は国民の権利。専門研究の保障や支援を!…今回の調査に同行して、私自身がこの仕事を国会でやりたい!との思いを、あらためてつよくしました。

      (『京都民報』3/11付掲載「アートdeArt」)

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07年2月19日(月)

アートdeArt(13)「凜々RinRin展」へようこそ!

 「成宮まり子と一緒に! 凜々RinRin 表現と未来展」が、ギャラリーかもがわで始まりました。

 誰もが芸術文化と関わり、人間らしく生きられる世の中をつくろうと、日本共産党美術家後援会が呼びかけていただいたもので、京都市立芸術大学でお世話になった先生や先輩をはじめ、絵画・彫刻・版画・書など、50人を超える方々から約70点もの作品が寄せられました。“ものづくり”を生業(なりわい)とするみなさんが、その手仕事の成果で応援していただけるなんて、こんなに嬉しいことはありません。感謝・感激です。

 18日の出展者のみなさんとの交流パーティーでは、「まさか君がこんな道を選ぶとは思ってもみなかった」「周りの美術家にもどんどん応援が広がっているよ」との声や、「ものづくりの町京都から、どうしても芸術畑の国会議員を誕生させたい」「私は、藤田嗣治の戦争画を見て御国のために命を捧げようと思った。でも絵描きになったきっかけも藤田だった。とにかく戦争はいかん」というお話、「そういえば美大出身の真鍋くん(大山崎町長)はどうしてる?」なんていう話題まで飛び出したりして、とってもたくさんの励ましと勇気をいただきました。

 ぜひ、展覧会なんか行ったことがない、という方も足を運んでみてください。26日(月)までです。

*ギャラリーかもがわ(京都市上京区堀川通出水西入ル一筋目東北角)

(『京都民報』2/25付「アートdeArt」)

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07年2月 5日(月)

アートdeArt(12)「戦争と芸術」展、藤田嗣治と戦争画

 京都造形芸大で開催された「戦争と芸術」展(〜2/2まで)。

 藤田嗣治の戦争画〈南昌新飛行場爆撃ノ図〉――自衛隊施設に展示されている絵が、防衛省の協力で例外的に公開されると聞き、足を運びました。

 日本軍が中国飛行場を爆撃して強行着陸。敵機を炎上させて制圧する場面を描いたもので、武勲を称えて軍人たちの名前も記された“正統派”的戦争画です。

 藤田の戦争画では昨年回顧展の〈アッツ島玉砕〉などが有名です。が、最近の「戦争の悲惨さを表したもの」「戦争画は『反戦画』ともいえる」との「再評価」が、私は気にかかります。

 悲劇の場面を描いたら『反戦画』なのか? 藤田自身はどう考えたのでしょうか。 …「絵画が直接御国に役立つと言ふことは何と果報なことか。私は右の腕は御国にささげた気持ちでゐる」と語り、「国民総力決戦美術展」(1943年)に出品した〈アッツ島〉の画の脇に、国民服に防毒マスクを掛けて立ちお辞儀をした、とのエピソードがあります。

 戦争の「大義」を信じ進んで加担した画家。…その意図や姿勢を抜きに「評価」することは、画家を操った日本の侵略戦争と軍国主義の深刻な誤りさえも「抜き」にすることにつながると感じます。

 そして“正統派”の戦争画が、いまも防衛省に「教育資料」として飾られていることほど不気味なことはありません。

 芸術作品の評価って何だろう。人々の幸せ、愛、平和、人類の発展方向、…。

 藤田嗣治をめぐり、私もまだまだ考え続けています。(『京都民報』2/11付「アートdeArt」)

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07年1月25日(木)

アートdeArt(11)墨と遊ぶ―神門やすこ展

 のびやかな墨の線が描き出す子どもたち。神門(ごうど)やすこさんによる「墨と遊ぶ」展を訪ねました。

 子どもの頃から絵が好きだったやすこさん。高校卒業後、人形劇団京芸に入団したことがいまの絵をささえていると言います。

 劇団では、人形劇役者として保育園に「体験入園」するという稽古≠ェあったり、宣伝用ポスターや舞台美術を手がけるようになって、「子どもの表情やしぐさを細かく見るだけじゃなく、全身で気持ちを表現するような絵を描きたいなって」。

 その後、筆遣いの基本を身につけたいと書道と水墨画を学んで墨の線≠ノ目覚めます。「生きた線。上滑った線じゃなくて紙に食い込んでいく線。勢いや力強さ、しなやかさが一本一本にあるんだと知ったんです」。

 自らを「ズボラで追い込まれないと描けないタイプ」と言いますが、「追い込まれて描き出すと100枚くらい描いて捨てるんです。ヘッドホンで音楽を聴きながら、気持ちがどんどん高まってきて、『あれ〜、こんな線、描こうと思っても絶対描けない!」っていうのが生まれるんですよ。自分でも思いもよらないのが」。

 モデルは?と訊くと、「気がついたら子どもたちを見てますね。電車の中で抱っこされてる赤ちゃんのお尻のぷくっとふくらんだ線とかね〜」とにっこり。…そんなやすこさんにかかると、不動明王や千手観音さまもかわいらしい子どもになってしまいました(写真)。

 あったかく元気になれる展覧会。運が良ければ、会場で描いているやすこさんに出会えるかも…。 

*神門やすこ展 2/11(日)まで ギャラリーかもがわ京都市上京区堀川通出水西入ル上ル Tel 075-432-3558(『京都民報』1/28付「アートdeArt」)

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07年1月 5日(金)

アートdeArt(10)日曜美術館30年展

 「日曜美術館」といえば、多くのファンをもつNHKの美術番組。放送開始は1976年だそうで、そういえば私も小学校の頃に見ていたなぁと…。その30周年記念展はおおいに楽しめます。

 なんといっても放映された映像と作品とで構成されているのが特徴で、「アトリエ訪問」では、あの岡本太郎が「絵でございます、というようなもんね、まあとてもつまらない。計算づくで描いちゃダメね」と語りながら、150号の真っ白いキャンバスにぐいぐいと黒の線を描き、赤・黄・青の色をぶつけていく姿からは、画家のポジティブな力が伝わってきます。

 山口華楊、秋野不矩など京都由来の作家も登場し、貴重な映像です。

 また、著名人や作家が作品を語るシリーズでは、手塚治虫が〈鳥獣戯画〉を知って「漫画というのは何百年ちっとも変わってないじゃないか」とカルチャーショックを受けた話や、この番組によって広く知られ「日本のゴーギャン」と言われた田中一村(いっそん)を回想する奄美大島の人々、建築家・安藤忠雄氏が「生きることはつくること」とモネや棟方志功を語っているのを興味深く見ました。

 「この絵はどうやって描いたの?」「何を表現している?」と訊いてみたいけれど訊けないという経験は誰にもあると思います。そうした「?」に答えてくれ、作家や作品をますます好きになれる展覧会です。もう少し作家ごとの作品数があれば、と感じましたが…。(『京都民報』1/14付 「アートdeArt」) *日曜美術館30周年展1/21(日)まで 京都文化博物館(京都市中京区三条高倉)

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