11年8月22日(月)
福島支援ボランティア〔3〕相馬市。息をのむ津波被害、余震と放射能への不安2011
福島ボランティア3日目は、南相馬市の北に位置する相馬市へ。
午前中、地元支部の方に、津波の大きな被害を受けた海岸地域を案内いただきました。
…息をのむ光景が目の前に広がります。松川浦、磯辺など数100〜1000戸の集落が呑み込まれた場所では、泥の中に住宅は基礎を残すばかり。押し流された船や壊れたトラックの「墓場」のような光景が延々と続きます。
海岸に近いある小学校では、大地震の後、家族が迎えに来て下校した子どもたちは犠牲になり、学校に残っていた子どもは助かるという「差」が生まれたといいます。「なぜ子どもを返してしまったのか」と苦にした校長先生が、後になって自殺されたという悲しい話を聞きました。
…多くのいのちが奪われたことをあらためて感じ、言葉になりません。
港湾や道路の被害も甚大です。撤去されないがれきが散乱したまま、外国船籍のタンカーが津波により船首が折れ曲がってそのまま、という姿にも遭遇しました。
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午後は、相馬市内の津波を免れた地域で、住民要望の聞き取りのため訪問。
18人が9組のチームをつくり、約3時間半、足が棒になるくらい歩きまわり、全体では訪問292軒、対話できたのが149軒、災害保障を求める署名が109筆寄せられました。
「南相馬市と違って、市長が『放射線の影響は少ない』と言っているので放射能測定が大雑把。細かく正確に測ってほしい」、「屋根が傷んだが瓦が足りず、修理は3年待ち。『半壊』までいかないので私らには何の補償もない」、「津波に自宅兼民宿を流され、失業したうえ借家に引っ越して大変」、「相馬市民は放っておかれている」などの声・声・声。
地元の村松えみこ市議が災害対策で奮闘していることはよく知られ、「ひとりで悩まないで」と書かれた松村さんの名刺も好評。…11月には延期されている市議選があるそうで、ぜひがんばってほしい!
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それにしても、余震が毎日続きます。
宿に戻った昨夜から今朝にかけては「震度3」くらいの揺れが数回。私たちでもドキっとしますし、子どもたちには泣きだす子もいるといいます。さらに、宿泊している民宿は原発からちょうど20キロ地点、さすがに放射能の不安は否めません。
…ずうっとここに住む、というのは、本当に大変なことだと実感します。