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11年8月21日(日)

福島支援ボランティア〔2〕南相馬市で被災者支援コンサート、聞きとり2011

 福島支援ボランティア2日目。昨日に続き、南相馬市で活動しました。

 午前中は、フォークシンガーの野田淳子さんとともに、避難所になっている原町第一小学校を訪問。

 避難者や地域住民のみなさんに声をかけ、ミニ・コンサートや紙芝居、炊きだしなどを行ないました。

 この避難所には事故当初100人以上がおられたそうですが、災害から半年近く経たいまも、約40人が暮らしておられます。企画の前に、段ボールの間仕切り1軒1軒を訪ねてお話を聞くと、「仮設住宅に申し込んでも、当たらなくてねぇ…」と困っておられる方がほとんど。「父・息子」家族や、お年寄りの夫婦もあり、大変さに驚かされました。

 10時からのコンサートでは、野田さんの歌に合わせてみんなで合唱。紙芝居(←赤阪前京都市議をはじめ伏見の元教員のメンバー、さすがです!)、健康体操(民医連中央病院の看護師さん)、そうめんの「炊き出し」や支援物資も大人気。

 「久しぶりに歌った、笑ったよ。ありがとう」「避難所と地域との交流企画は初めてで、とてもよかった」とみなさんの笑顔。

*        *

  午後は、この地域で地元の荒木ちえこ市議や党支部のみなさんとともに、要望やお困りごとの聞き取りに地域を訪問しました。

 突然の訪問にも「わざわざ京都から!?」と、お茶を出していただいたり、「言いたいこといっぱいあるわよ。原発はいらない!」と涙ながらに長い話になるお宅も…。

 「元の生活を返してほしい。原発のせいで若い人が住めない町になるかと思うとやりきれない」、「原発の爆発の時、10キロの所にいて爆風に驚いて逃げたけれど被曝したと思う。『原発は安全』と政府も東電も言ってきたのに許せない」、「市が、個人住宅の除染は個人でやれと言っているけれどとても無理。被曝することや流した汚染水が心配」、「家族が津波で亡くなったのに『立入禁止区域』内で、まだ遺骨をひきとることもできず、辛い」など切実な声・声・声。

 …この原町区は福島原発から約20〜30キロで、避難した住民が戻ってきつつあるといいますが、まだ4割足らず。空き家が目立ち、家におられるのはほとんどが高齢者ばかりで、これでは日常生活も大変です。

 小学生は「学校ごと疎開」して、子どもの姿はほとんどなし。午前の企画に、たった2人だけ子ども連れで参加されたお母さんが「避難所などあちこち行ったけれど、子どもが騒いで居づらくなり、結局戻ってきました。けれど放射法が心配です」と言っておられました。

 …お年寄りも、若い世帯も、みんながそれぞれ悲しみや辛さを抱えておられ、1人ひとりに寄りそう支援が求められていることを、つよく感じます。

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