11年8月20日(土)
福島支援ボランティアへ〔1〕…飯舘村2011
今日から5日間、日本共産党京都府委員会の福島支援「ひまわりボランティア」の一員として、福島県南相馬市に来ています。
今回の参加者は18人。いちおう「団長」である私が最年少で、みなさん50代〜70代、最高72歳という“ベテラン・パワー”の一行となりました。
早朝7時、支援物資をつめこんで党京都府委員会を出発したマイクロバスは、北陸道から磐越道を通り、途中、あの飯舘村を通過しました。
放射能汚染によって「全村避難」とされ、町並みや「飯舘牛」の看板はきれいなままなのに人の気配は全くなし。耕されなくなった田んぼには夏草が伸び放題…。
…町村合併をせず、「までい(スローライフ、手づくりなどの意味)の村」「小さくても輝く自治体」を掲げて、住民や子どもを大切にする村づくりをすすめてきた飯舘村。50キロの彼方から山を越えてきた放射能雲のせいで、なんと哀しい姿でしょうか。
* *
さて、バスは13時間かけて、福島県南相馬市のある日本共産党ボランティアセンターに到着。京野菜なども別便で届きました。ちなみにここは、福島第一原発から23キロ地点です。
前日から福島入りしているフォークシンガーの野田淳子さんと合流して、さあ、夕ごはんへ。
…といっても、街は真っ暗でほとんどの店が閉店しています。そのなかで、ショッピングセンターにたった1軒だけ「営業中」という焼肉屋を見つけてみんなで入りました。お店の方は大勢の団体客に驚いておられるようでしたが、よくぞ開けていてくれました。ありがたい〜!
〔つづく〕