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11年5月15日(日)

福島県・南相馬市からの避難者にバッタリ2011

 「私ら、福島県からの避難者ですよ!」

 …洛西ニュータウンのラクセーヌ近くで、河合ようこ市議とともに「震災救援」の旗を立てて宣伝していたところ、手を振って声をかけてこられる老夫婦に、偶然にもお会いしました。

 お聞きすると、南相馬市の自宅は福島第1原発から約25キロ地点にあり、息子に言われて自主的に避難してきたとのこと。ご夫婦は80代で、60代の妹夫婦と一緒だと言います。

 「京都市に、空いている市営住宅に入れてもらい、民生委員さんに支援物資もいただいてありがたいことです…。だけど、南相馬と違って近所付き合いもなんにもないし、言葉も違うね。故郷がどうなってるのか心配で、行政の窓口で尋ねても『ここではわかりません』って。あちこち行けと言われたって、京都の地理もよくわからない。…辛いですわ。もう帰りたい」

 …言葉があふれるように、思いを話されます。

 「自宅はまず地震で瓦が飛び、石塀が倒れた。着の身着のままで出て来たけれども、貯金通帳を持ってきたので、生活資金はなんとかなってる。だけど避難生活が長引いて、使い果たしてしまうことが不安だし、いざ帰るにも旅費に家族で10万円以上はかかる。なんとか無料にならないだろうか」

 …一生懸命に、涙を浮かべて、福島弁で話されます。

 「地元でも、共産党の女性議員さんに親しく世話になっていた。もう原発はダメだとつくづく思う。『原発やめよ』とずっと言ってきたのが共産党だ。ぜひがんばってもらわないと」

 …まずは、会えてよかった。なんとか力になりたい!と思います。明日以降に再度訪問し、党支部のメンバーとも力をあわせてできる限りのあったかい支援をしていきたいと思います。

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メッセージ

原発の影響で住み慣れた故郷から引き離された住人のみなさんの気持ちを思うと涙が出ます。ご夫婦の不安は想像をこえるものがあると思います。

私も田舎育ちですが、昨日の赤旗の3面の飯館村の風景の写真を見て、のどかな風景の中にその地を守ってこられた人たちがいないことの現実をみて涙がとまりませんでした。もしも自分の故郷が同じ目にあい、地域の人たちがあの土地から立ち退かされたら・・生まれ育ててくれた故郷が荒れ果てることを想像しただけでも原発の存在が悔しいです。
お金での保障や新しい場での新生活の準備などでは福島の人々の生活保障にはなりません。日曜版の2面の佐藤村議が「村に帰り子々孫々まで生き続けられる・・・」と話されている言葉に初めて納得いくものを感じました。
私たちもどんな形で応援できるのでしょうか・・・
原発反対の元祖!!共産党が大きくなるように願い応援します。

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