06年8月 7日(月)
原水爆禁止世界大会12006
●「控訴せんで!」原爆訴訟原告団・支援者と壇上で
「控訴せんで(するな)」――原爆投下から61年めの8月6日、広島。平和公園に向かう早朝の街かどでも、被爆者団体と厚生労働大臣との懇談でも、そして海外や全国から8500人が集った原水爆禁止世界大会でも、幾度となく繰り返された言葉です。
世界大会初日、ビッグニュースが飛び込んできました。
被爆者が国による原爆症の認定「却下」を不服として集団訴訟に訴えた裁判が全国でたたかわれてきましたが、被爆地広島地裁は4日の判決で、41人全員に勝訴判決。…5月の大阪地裁で京都在住者を含めた9人の訴えが認められたのに続く「全面勝訴」です。
しかし大阪では、国は非情にも「控訴」。被爆者にはもう時間がないのに、です。
「国は判決に従え。控訴するな!」「大阪高裁への控訴をとり下げよ」
…世界大会参加者の半数、京都代表団の6割は青年たちでしたが、この思いは、被爆者の体験に衝撃をうけ、受け継ぐ決意をあらたにした若い世代にとっても共通の意思になりました。
●広島平和記念式典・平和公園「折り鶴像」前で青年たちと
平和記念式典では、秋葉広島市長が、日本政府に対して核保有国に「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉を」と迫ることや、「平和憲法の遵守」を要求。さらに被爆者の実態にそった人間的なあたたかい援護を求めました。
ところが、小泉首相の話からは真剣さが伝わってきません。
…被爆者援護は充分やってきた、憲法の平和条項を守り、核兵器廃絶にむけ世界の先頭に立ち続ける、などと言葉を並べてみせましたが、実際の行動が“正反対”なので、あまりにも空虚。「恥ずかしげもなく」とはこういうことを言うのではないですか?
「この政治を変えなければ。しかも急いで」
…2006年世界大会に参加しての私の結論は、そのためにも、来年の世界大会には、必ず議員バッヂをつけ、井上哲士さんとそろって参加するぞ、ということ。そして、若者をはじめ京都代表団のみなさんと一緒に、運動をさらにひろげ政治を動かしていきたい。