10年6月 2日(水)
まり子を語る6 京都市会議員 とがし豊さんまり子を語る
「この子の未来に戦争あかん」に込められた思い
沖縄の苦しみに心寄せて
成宮さんの新婚旅行の先は沖縄。リゾートのためではありません。当時(1995年)、幼い少女がアメリカ兵に暴行されるという痛ましい事件が起こり、沖縄は怒りにうちふるえていました。その沖縄に行き、基地被害の実態や、かつて唯一悲惨な地上戦を経験した住民の方から話を聞きたいという思いからだったというのです。そしてその結果を「沖縄報告書」というビラにして、京都の知り合いに手当たり次第に配って、沖縄の実態を訴えられたのです。私が成宮さんに初めてであったのはちょうどその頃。その行動力に衝撃を受け、沖縄の苦しみを我がこととして必死にがんばるすごい人がいると驚かされたのを、今もはっきり覚えています。
成宮さんは「この子の未来に戦争はあかん」という言葉を口癖のように言っています。この言葉は、一人の母親としての愛情だけではなく、沖縄で出会ったおじい、おばあの悲しみ、苦しみ、その思いから出てきた言葉です。
成宮まり子さんは、東京に派遣村が出現したとき、心を痛め、これは他人事ではない、京都でもできることをしなければ行けないと、以来、京都駅での炊き出しのボランティアと生活再建の支援にとり組んでいます。戦争も貧困も、政治によっていのちが犠牲になることがあってはならない、その思いが「この子の未来に戦争はあかん!」という言葉に込められているのです。