略 歴プロフィール・略歴 トップに表示
1969年(昭和44年)滋賀県彦根市に生まれる。彦根市立城陽小学校、彦根南中学校を経て、県立彦根東高校へ。
高校生のときに「核戦争を起こしたくない」と民主青年同盟に加盟。
1988年(昭和63年)京都市立芸術大学美術学部入学。美術科油画専攻、フレスコ(壁画)の技法などを学ぶ。
美術学部学生自治会書記長、京都府学連執行委員として、学生自治会や大学生協設立運動の中心に。学生要求をかかげた市議会請願により、次年度から入学金値上げが一部是正され、大学会館建設が決まるなどを経験し、「がんばれば動かせる」と確信に。学生時代に日本共産党入党。
1993年(平成5年)同大学学部を卒業後、大学院美術研究科へ。造形構想を専攻し、彫刻家の佐野賢氏のゼミ生となる。
戦後50年目を迎えた1995年に制作したものです。ふたたび迫る「軍国主義」と戦争の危機を告発する思いをこめて…。
1995年(平成7年)大学院修了。京都のギャラリーを中心に、創作発表活動をおこなう。結婚。
1月に発生した阪神淡路大震災の救援ボランティアのなかで、被災者に冷たい政治を目の当たりにして「政治と社会を変える生き方をしたい」と胸に刻む。
1997年(平成9年)COP3(地球温暖化防止京都会議)ボランティア。民主青年同盟に就職し、京都で初めての女性府委員長に。
1998年(平成10年)7月の参議院選挙で、若者が選挙を楽しく面白くやろうと「日本共産党といっしょに日本をかえるネットワーク(略称:かえるネット)」をよびかけ、結成の中心に。
2001年(平成13年)日本共産党に就職。7月参院選で比例代表候補として国政に初挑戦。
2003年(平成15年)前年12月31日に長女を出産。11月の衆議院選挙に小選挙区京都4区から立候補。自民党・野中広務氏の引退で“注目選挙区”となる。
2005年(平成17年)長女の保育園の保護者会で活動し、右京区保育園保護者会連合会副会長。
9月衆議院選挙に再び京都4区から立候補。郵政民営化での自民党「刺客」選挙で再び“注目区”に。
2007年(平成19年)7月の参院選で京都選挙区候補として奮闘。27万5785票を獲得するが及ばず。
2010年(平成22年)党京都府委員会副委員長。参院京都選挙区候補として再挑戦するが及ばず。
2011年(平成23年)4月の京都府会議員選挙に西京区から立候補し初当選。
2012年(平成24年)7月に第2子となる長男を出産。
2015年(平成27年)4月、府会議員に再選され2期目へ。
2019年(平成31年)4月、府会議員3期目。